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覆水難収


 商王朝末期、姜太公という人がいた。彼は知略に優れ、兵法にも精通していた。だが、商王朝の残虐で横暴な政治に対して不満を抱き、官職を辞去して平民となった。

 姜太公は渭水のほとりに隠棲して、毎日悠々と川辺で魚釣りをしていた。姜太公の妻は夫が毎日何もしないのを見て、この男といっしょにいてもいいことはないと思い、彼から離れ去った。

 その後、姜太公は周の文王に招かれて、周の軍師となった。周は姜太公の補佐により、商朝を滅ぼし、天下を奪い取った。

 この時、離れていた姜太公の妻は太公がまた大官となって富貴と栄華を極めているのを知り、太公を訪ねてよりを戻そうとした。姜太公はザーッと撒いて言った。

 「お前はすでに私のもとを去った。この地面の水と同じように、いったん離れたものは、もう元には戻れないのだ。」

 これを聞いた妻は、もとに戻せないことを悟り、怒って立ち去ったということだ。

[原文]覆水难收(覆水収め難し)
  商朝末年 有个姜太公,他足智多谋,精通兵法。但由于不满当朝的残暴统治,辞去官职,做了平民。
  姜太公隐居在上陕西渭水河边。每天悠然自得地在河边钓鱼。姜太公的妻子看到丈夫整天无所事事,觉得跟他在一起不会有好日子过,于是就离她而去了。
  后来姜太公接受周文王的邀请做了军师。在太公的辅佐下,周朝灭了商朝,夺得天下。
  这时,离姜太公而去的妻子,见太公又做了大官,享受着富贵荣华,九找到姜太公,想要恢复夫妻关系。姜太公默默地把一壶水泼在地上,然后对妻子说:“你既然已经离我而去,就好比这地上的水,一旦泼出去,是不可能收回来的!”
  妻子听后,知道事情已无法挽回,就悻悻离开了。

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県知事がこどもをしつける

 昔、李という人に進宝という一人息子がいた。李さんは、進宝が七歳のとき、家庭教師をつけて、勉強させた。息子はとても聡明だったが、まじめに勉強しなかった。彼は先生を嫌っていて、いつも先生を怒らせていた。

 ある日、授業のとき、進宝は「井」という字を書き、その字の真ん中に点を打って、先生に聞いた。「先生、この字はどう読みますか。」

 先生はちょっと見たが、知っている漢字ではなかったので、答えられなかった。進宝は笑いながら言った。

 「先生、井戸の中に石ころ一つ投げ入れたら、どんな音がしますか?『ドンとかポン』じゃありませんか?あなたは六十数年生きてきて、こんな簡単な字も読めないんですか。それで、どうして僕に教えられるんですか?」

 こう言われた老先生はひどく気分を害した。それで、荷物をまとめて家へ帰ることにした。

 帰途、老先生は悩んだ。ずいぶん多くの本を読んできたのに、今日は子供に聞かれて字が読めなかったことで、腹が立つと同時に情けなく思えた。それで、道端に座り込んで泣き出してしまった。

 ちょうどそこへ、県知事が通りかかり、老先生にどうしたのかと尋ねた。老先生は事情を一通り説明した。県知事は聞いてからしばらく考えて言った。

 「すぐに進宝という子供を連れてきなさい。わたしが彼に漢字一字の読み方を聞いてみましょう。」

 しばらくして、進宝が県知事のもとにやってきた。県知事は彼に言った。

 「おまえはずいぶん賢くて、知っている漢字がたくさんあるそうだね。今から私が漢字の読み方を聞いてみるが、もし読めなかったら、おまえを竹の板で打つぞ。」 

 言い終わると、人に竹の板を準備させた。それから県知事は「肉」という漢字一字を書いて、その上に「竹」という字を書き加え、進宝に読むように言った。進宝はちょっと見たが、知っている漢字ではなかったので、やはり答えられなかった。県知事は怒っていった。

 「引き連れて竹の板で打て!」

 進宝は一度打たれてから、県知事の前に連れ戻された。県知事は笑いながら言った。

 「まだわからないのか?この字は上に『竹』があり、下に『肉』がある。さっき、竹の棒でおまえの肉を打ったが、どんな音がしたか言ってみろ!『パン!』ではなかったか?」

 進宝はここで、ようやく自分の過ちに気がついたということだった。

                                               『中国笑話・謎語50選』

肉団子

 元旦の朝、許さんは早々と起きて、家政婦に挽き肉を買いに行かせた。同時に、餅米を水につけてふやかし、ネギと生姜を準備し、台所で一働きする。

 家政婦が挽き肉を買ってきたら、許さんはテレビで見たとおり、料理を始めた。挽き肉とネギ、生姜を細かく切って、少しの醤油と水を加え、もち米と混ぜて小さい団子を作る。その団子を盆に並べて、蒸し器で蒸す。人生で初めて厨房に入った人なら、厨房の仕事は疲れるのが自然なのだが、許さんにとっては精神的に愉快なものだった。そればかりか、この台所仕事は離職して以来2か月余りの気抜けしたような孤独感と欠乏感を薄めてくれるのだ。

 許さんは白い煙が上る蒸し器を見つめながら、タバコに火をつけ、若い時、好きだった「三八式銃を担いで、弾を込める」という唄を口ずさむ。

 昼になって、長女が孫息子を、次女が孫娘を、さらに長男が結婚したばかりの嫁を連れてやって来た。彼らはみな許さんに新年のプレゼントを持って来た。長女は多機能杖、次女は薬用酒を二本、長男は麻雀セットを持って来た。それから、孫息子と孫娘までもが年賀状と布きれで作ったウサギの人形をプレゼントした。(この年はうさぎ年だったため)

 食事の前に、みんな、家政婦から聞いて、今日は許さんが料理の腕前を披露することを知っていた。家政婦が熱々の真珠のような肉団子を捧げ持ってきて、テーブルの中央に置いた時、拍手が起こった。みんなの目がテーブルの上の真珠のようにぴかぴか光る肉団子に注がれた。みんな、信じられないような気持ちで、首を振り、笑ったが、箸を取ろうとしなかった。

 「さあ、食べて!」

 許さんが自慢げに言って、みんなのお椀に箸で取り分けた。それから、まるで小学生が試験の答案を先生に出して先生の批評を待つように、みんなのことばを待った。

 長女と次女、それに長男が一口食べ、続けざまに頷いて、「おいしい!本当においしい!」と言った。

 長男の嫁も一口食べると、眉間にしわを寄せたが、すぐに慌てて、「すごくおいしいわ」と言った。

 孫息子は一口食べると、口をゆがめて、何か言おうとしたが、母親の「お礼を言わないの?」という一言によって遮られた。

 孫娘は一口食べると、思い切り首を振った。母はすぐにその肉団子を挟んで、自分のお椀に入れて、「この子ったら食わず嫌いで、肉も食べなくなったのよ」と言った。

 それから、みんなで許さんの幸福、長寿、健康、安寧を祝って乾杯した。許さんは名酒の西風酒をうれしそうに一口で飲みほした。

 許さんが、「わたしも食べてみよう」と箸を持って、肉団子を取ろうとした時、

 長女は、「お父さんが私たちのために作ったものを自分も食べるの?」

 次女は、「私たちが二つずつ食べたらちょうどいいわ。お父さんに食べられたら足りなくなるわ。」

 長男は、「お父さんは食べなくてもいいよ。他の料理を食べたらどう?」

 許さんは、「一つだけだ。一つだけ食べるんだ」と頑固に言い、箸でつまんで一口食べた。そして、愕然とした。

 その肉団子の味も素っ気もないことで、塩を入れ忘れたことを思い出した。彼は周囲の無理に作った笑顔を見た。そして、何故か、鼻の辺りがつんとしてきて、涙ぐみ、目の端から涙が二粒零れ落ちた。

                           原作:梁秉坤「珍珠丸子」(一分間小説選)
                    北京語言学院 楊殿武 張恵先 編著 中華書店1992年

思いやり

 ある貧しい女子学生、北京に来て大学に通うようになってまだ十日しかたっていないのに、彼女の両親がともに事故で亡くなり、彼女はまったく身寄りがいなかったので、一銭もなくなった。それで、19歳の彼女は涙を流しながら退学届を提出した。故郷に帰って農作業をするつもりでいた。

 この時、ある教授が彼女のために大学の学報編集部での仕事を紹介した。学報編集部で校正担当に一人欠員が出たといって、紹介したのだ。学報は十日に一回出されるもので、彼女はいつもやることがなかったが、給料はもらうことができた。

 彼女はこうして四年間の大学生活を過ごしたが、彼女はとうとう本当のことを知らなかった。実は毎月の給料は5人の編集部員が自分の給料の中から少しずつ負担して集めたものだった。それに、本来、編集部には校正係など必要なかったのだ。彼女のために特別に用意したものだった。

 そうしたことを彼女は全く知らないまま卒業していった。5人の編集部員は心の中に急にぽっかりと穴が空いたような気がした。彼らにとって給料日に給料の一部を集めるのが習慣になってしまっていた。思いやりの心を示すのもまた人生における一つの成果であり楽しみである。彼らはまた学費が足りず退学せざるを得ない山村出身の学生を一人雇用した。

                                          《斎霞著「耳が喜ぶ中国語」》

年老いた牛の眼(原作:毛丹青「老牛的眼睛」)

 あなたは年老いた牛の目を見つめたことがあるだろうか。その沈着冷静なまなざしに心を動かされたことがあるだろうか。

 わたしが小さい時、文化大革命があった。わたしは、わたしの両親も農村の幹部学校に行かされ、わたしは両親について行った。私たち家族はそこで忘れがたい日々を過ごした。

 その当時の子供は大人たちと違って、自由奔放であちこち走り回っていた。時に大人たちの心配げな顔を目にしても、子どもたちは天真爛漫だった。その時代において、都市から移されてきた知識分子たちはすべて、当時のこどもから「牛小屋の住人」と呼ばれていて、この言葉がいったい大人たちにどれだけつらい思いをさせていたのかについては、当時の子どもたちは誰も想像できなかった。当然のことだが、誰もわざわざ話してはくれなかった。文革中の大人たちは何でも子供たちに話すのではなく、とりわけ政治上の難しい問題についてはお茶を濁していた。そういうわけで、大人と子供とは、一つの分厚い壁で隔てられているようなものだった。

 わたしが今でも覚えている話がある。当時、ある北京大学の教授が「反革命分子」というレッテルを貼られたため、家族たちは、彼を絶縁し、紅衛兵が彼を連行して街中を引き回す時にもその手伝いをしたという。教授は必死で耐え、幹部学校へ移されると、工事現場に住むよりも、むしろ年老いた牛を友としたいと希望し、毎日、牛小屋で寝起きしていた。

 ある日、教授は死のうと思った。一本の太い縄を牛小屋の梁に縛り付け、首吊りをしようと考えたのだ。ところが、ちょうどその時、彼のそばの年老いた牛がとても暖かい眼で彼を見つめていたそうだ。「もう、もう、もう」という牛の声は教授にとっては「いけない、いけないよ、やめろ」と言っているように聞こえたというのだ。

 教授はこの牛の暖かいまなざしに深く感動し、これからは粘り強く生きていこうと決心したそうだ。

 それから、数年後、大人になったわたしはこの教授と会って、この話を聞いたのだ。

 「あの年老いた牛の眼はまさに仏の目だったよ。」

 そう言ってから、教授は口の中でぶつぶつ言った。

 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)!」


                                           原作:毛丹青「老牛的眼睛 」

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