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不運な男

 いつも昼からの仕事だが、木曜日だけは9時からの仕事だ。前日なかなか寝付かれず、結局、8時近くに目が覚めた。まだ間に合うと思いながら、急いで着替えて、バス停に走って行ったら、ちょうど目の前で、乗るはずのバスが時間通りに出て行った。いつも遅れてくるくせにと思いながら、次のバスを待っていたら、今度は遅れてきた。結局駅に着いて、電車もぎりぎりだ。走って階段を上り、ホームに出たが、案の定、正確に目の前で出て行った。次の電車は遅れてきた。結局10分ほど遅れて会社のある駅に着いた。仕事も10分遅刻してしまった。

 帰る時、大雨になっていた。朝、慌てて出たため傘を持ってきていなかった。近くのコンビニまで走っていって、500円の傘を買った。駅に行った時は、寝不足もあり、疲れてベンチにボウッと座っていた。電車が来て乗った。ドアが閉まった瞬間、さっきまで座っていた椅子に傘を置き忘れたことに気が付いた。家に電話し、母に駅まで傘を持ってきてもらうことにした。最寄り駅に着いて傘を受け取ったものの、一日の疲れがどっと出た。

 翌日は昼からの仕事だった。、電車に乗る前にホームの売店で200円のジュースと100円のボールペンを買って、お金を払おうとしたら、乗るつもりの電車が来た。急いでカードで払った。値段を見てびっくり、512円!ボールペンは100円だと思っていたけど、300円するのかと思いながら、レシートを受け取って電車に飛び乗った。乗ってから、レシートを見て驚いた。買ってもない216円もするお茶も加わっていたのだ。

 仕事の帰り、会社のある駅で、駅員に傘の忘れ物はなかったか、聞いてみた。すると、全部持ってきてくれたが、なかった。誰かが新品だと思って使ってるんだ。情けない。最寄り駅に戻って、ホームの売店に立ち寄り、レシートを見せて、買ってないものが入ってたんですがと言うと、「ああ、わかりました。お客さんですね、昼担当の人から聞いています」と言って、216円を返してくれた。小さな金額だが、少し救われた気分だ。
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20年前の1月17日

今でも忘れられない。

1995年1月17日、九州の高校に勤めていて、修学旅行で、長野へ行く予定だった。朝6時、駅に教師、生徒が集まった。大阪まで新幹線で行く予定だったが、神戸のあたりで、大地震があって、新幹線がストップしているという。それで、大阪まで船で行くことになった。瀬戸内海を船で移動中、神戸あたりに差し掛かった時、炎が見えた。これは現実なんだ、夢じゃないんだと思い、今、日本で大変なことが起こっているという不安を感じた。

この日、5時46分、阪神・淡路大震災が発生した。亡くなった方は6434人。家屋が燃え、多くの被害が出た、あれから20年が経過した。

今、十代の少年たちも含めた、これから成人となる人たちは震災以後生まれた人たちだ。テレビで、追悼集会に参加している中学生が、「コミュニケーション、新の絆…」というようなことをコメントを書く紙に書いていた。
インタビューされて、「コミュニケーションがあれば、大きな災害があっても、乗り越えられる。私たちにとって大切なのは新しい絆だと思います」いうようなことを言っていた。成人式の日、二十歳の若者が、「人に貢献できる人間になりたい」と言っていた言葉が思い出される。

生きていれば、いろいろなことに出合う。不条理なことに出合って絶望することもある。信じられない事件や事故もある。だが、テレビで若者たちを見ていると、どんなことがあっても、人間ってすばらしい可能性をもっているものだと思う。

成人の日に思うこと!

 1月12日は成人式だ。

 成人式といえば、私が二十歳の時、大学のある市主宰の成人式があったのだが、私は参加していない。というのも、その日は先輩たちが私の下宿に来ていて、いっしょに麻雀をしていた。先輩たちはそんなもの出なくてもいい、マージャン卓を囲っているほうがよっぽどいいぞと言われた、たったそれだけの理由だ。

 考えてみれば、大学生の時、いつも麻雀をしていたような気がする。19歳の冬もそうだ、先輩たちが来て、いっしょに麻雀をしていた時、「ハハキトクスグカエレ」という電報が来た。慌てて帰ったら、母が出迎えてくれた。あの電報は何だと思ったら、電報を打ったのは父で、母というのは、父の母だった。つまり私の祖母が亡くなったのだった。

 成人式の日に話を戻せば、あの日、わたしは成人式に出たかったことが今でも後悔の種になっている。一生に一度しかない儀式。そのことが、今の私の未熟さに通じているのかもしれない。

 だが、思う、成人とは何か?単なる肉体の成人ではない。心の成長した人のことだと思う。今の30歳の人はようやく昔の20歳の人の精神年齢に到達すると言われている。30歳過ぎた大人の女性が昔の子どもが好んだぬいぐるみや人形に夢中になるという時代。くまモンの流行もその表れだと思う。

 こんな時代、20歳の人たちはどうなのだろうかと思う。時代は繰り返すという。今年成人した人たちは、かつて30前後で時代を動かした坂本竜馬たちと同じように、若くして社会を動かすのではないかと期待している。

 己の二十歳のころを思い浮かべながら、思うこと。それは今の若者に対する期待だ。私たちの世代は失敗だった。私たちの世代は政治に背を向け、ひたすら遊び続けるか、或は政治闘争に明けくれた世代だ。今の若者たちがどんな世代となるのか楽しみだ。

思いやり

 ある貧しい女子学生、北京に来て大学に通うようになってまだ十日しかたっていないのに、彼女の両親がともに事故で亡くなり、彼女はまったく身寄りがいなかったので、一銭もなくなった。それで、19歳の彼女は涙を流しながら退学届を提出した。故郷に帰って農作業をするつもりでいた。

 この時、ある教授が彼女のために大学の学報編集部での仕事を紹介した。学報編集部で校正担当に一人欠員が出たといって、紹介したのだ。学報は十日に一回出されるもので、彼女はいつもやることがなかったが、給料はもらうことができた。

 彼女はこうして四年間の大学生活を過ごしたが、彼女はとうとう本当のことを知らなかった。実は毎月の給料は5人の編集部員が自分の給料の中から少しずつ負担して集めたものだった。それに、本来、編集部には校正係など必要なかったのだ。彼女のために特別に用意したものだった。

 そうしたことを彼女は全く知らないまま卒業していった。5人の編集部員は心の中に急にぽっかりと穴が空いたような気がした。彼らにとって給料日に給料の一部を集めるのが習慣になってしまっていた。思いやりの心を示すのもまた人生における一つの成果であり楽しみである。彼らはまた学費が足りず退学せざるを得ない山村出身の学生を一人雇用した。

                                          《斎霞著「耳が喜ぶ中国語」》

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