父の命日

 2月22日は父の命日だ。35年前の1980年に亡くなった。父はその日の朝、「行ってきます」と言って、会社に出かけ、昼頃、心筋梗塞で病院に運ばれた。病院に駆けつけた母はそこで少し話をすることができたが、午後1時ごろ亡くなったそうだ。家から電車で3時間半ほど離れた所で働いていた私は、「チチキトクスグカエレ」という電報をもらって、急いで帰ったが、すでに亡くなった後だった。

 父は日ごろ、車で通勤していたが、当時、まだ義務付けられていなかったシートベルトを会社内に導入し、推進する役をやっていた。また、会社でサッカーチームの監督もしていた。機械類も大好きで、例えば、1970年ごろだったろうか、リール式のレコーダーが家にあったが、その後、テープレコーダーやマイクロテープレコーダーが発売されると、すぐに買って来た。

 伝統的で古いものも好きだったようだ。正月はきちんと朝早く起きて、神棚と仏壇にお祈りをし、一日、和服で過ご酢人だった。また、会社の中で、能や謡のクラブもやっていた。堅物で真面目で、それでも、一滴も酒が飲めないのに、宴会ではいろいろな芸をして人を喜ばせたりしていたという。

 いろいろすばらしい点がある父だったが、私にとっては暗い人としか見えなかった。笑う姿をあまり見たことがない。いつも苦い顔をしていた。わたしは二男で、学校の成績はあまりよくなかった。一方、兄と弟は成績が良かった。兄と弟の通知表を見て、ニコッとした後、私の通知表を見て、苦い顔をする。わたしにとっては、暗く、そして冷たい父だった。

 通夜の時、證誠寺の和尚が来た。読経の後、説教で、「葬式というのは誰のためにするのですか?」「亡くなった人のためではありません。残された人のためにするものです」と言ったことが忘れられない。また、父の同僚たちがたくさん来ていたが、彼らが父のことを褒めあっていた。その中の一人の人が、突然、私を見て、二男の××君だね。母と私に向かって、会社ではいつも、二男の話をしていたよ。二男が心配だと言ってたよ…と言った。ふと、私は父を誤解していたのだろうかと疑問に思った。
 
 翌日、葬儀があり、多くの人に見送られて、家族と親戚そろって火葬場へ行った。外で待っていたら、煙突から煙が上る。白い煙が天に昇り、青空にたなびく白い雲となっていく。昇天する父を見送った時のことは忘れられない。骨を拾う時、火葬場の人が言った。この方は脳溢血でしょう。頭の骨に血が飛び散っていますよという。母が、いえ、心筋梗塞でしたと言うと、じゃあ同時ですね。

 家に戻ると、私の上司が来ていた。2時間ほど離れた所にある会社から、来てくれていたのだ。霊柩車を見送る時から来ていたという。わたしは気づかなかっただけだ。上司が、「君のお父さんはすばらしい人だったようだね。君はあまりお父さんに似ていないな。鬼っ子だ」と言ったことも忘れられない。

 それまで、父のことをあまり好きでなかった私は少しだが、父のことをあまりに知らなさ過ぎたんじゃないかと感じた。誰もが父の優秀さをほめたたえるのに、どうしてわたしにはあんなに暗い顔ばかりしていたのだろうか。不思議でならなかった。
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