天下に泥棒はいない(原作:趙本夫「天下無賊」)

「天下に泥棒はいない」

原作:趙本夫「天下無賊
翻訳:誠生



 儍根(シャコン)は故郷へ帰ろうとしていた。

 儍根はもう5年間帰っていなかった。

 儍根が仕事を始めたときは、16歳だったから、すでに21歳の一人前の青年になっていた。

 同じ村から一緒に来た10数人の仲間は、毎年冬になると故郷に帰って春節(旧正月)を過ごした。休暇はほぼ二ヶ月で、その年稼いだ金を持って、奥さんや子供、それに老人たちに会うために帰るのだった。しかし、儍根は帰らなかった。儍根は孤児だったから、行き帰りで何千キロもの道を帰っても、何もすることがなかった。さらに言えば、みんなが帰った後、建設現場を見る人がいなくなるからだ。レンガや瓦、木材、鉄筋などが積まれている大きな工事現場である。儍根は一人でここに住んで、一日に何度も歩き回ってから、寝るのである。夜は用を足しに起きて、暗闇の中を手探りでもう一度歩き回るのだ。左手には懐中電灯を握り、右手には棍棒を提げていた。儍根が棍棒を持っていたのは、泥棒を防ぐためというより、狼を防ぐためである。ここは大きな砂漠で、数百里先まで、人気がなく、近くには新たに発見された油田があるだけだった。彼らは新しい油田開発のための家を建設しに来ているのだった。

 儍根は夜、しばしば、三匹、五匹と群れを成したオオカミに出会った。彼らは材料置き場までやって来て、風や寒さをしのぐのだ。儍根がやってきたのを見つけて、立ち止まった彼らの目が、緑にきらきらと光る。儍根は棍棒を握り締め、突進して、大声で叫ぶ。「あっち行け!」オオカミたちは走って逃げる。

 オオカミたちは彼の持っている懐中電灯を恐れていた。

 数日、オオカミたちを見ないと、儍根はさびしく感じた。そこで、彼は棍棒を上に掲げ持ち、材料置き場のはずれにある砂山に上って、懐中電灯を手に持ち、遠い夜空に向かって照らして、また大声で叫ぶ。「みんな来いよ!」 まもなく、一群のオオカミたちが集まる。数十匹はいるだろう。背の高いのや背の低いのが、砂山に向かって立っていて、一群れの緑色がきらきらと光っている。彼らはすでに儍根に慣れ切っていたいた。儍根はまず、懐中電灯で、群れを成した彼らを照らしてから、高らかに言うのである。「今から会議を始めるぞ!」 みな彼をじっと見つめていた。

 「うん、はじめるぞ」

 「うん、張三、李四、うん、王二、麻子!」

 「うん!・・・」

 会議が終わったら、儍根はいつものとおり、映画を見せる。と言っても、懐中電灯を手に持って空を照らすのだ。円を描いたり、弧を描いたり、交差させたりして、光の線を、でたらめに描くのだ。砂漠は奇妙に静まりかえり、ただ、夜空に神出鬼没の光だけがきらきらと光っていた。オオカミたちはじっとして、声も出さず、夜空を見上げ、電灯の光を追っていたが、どうしても目は追いつくことができなかった。あまりのきらびやかさに目がくらんだ時、光は突然空から落下してきて、まるで、長く大きな棍棒が砂山の上に打ちおろされたかのように見える。そして、棍棒は転げまわり、突然消えてしまう。儍根は得意になり、棍棒を振り回し、大声で叫ぶ。「とっとと失せろ!」 そうして、身を翻し、去ってしまうのだ。オオカミたちはみんな動こうともせず、砂山の上で、わけもわからず立ち尽くしていた。

 しかし、今、儍根は故郷へ帰ろうとしていた。

 儍根は帰ろうとしていたのだ。人夫たちを取り仕切る副村長はそのことを知って、唐突に感じた。というのも、儍根は何も悩むことなく、ここで仕事をしてきていた。ほかの人が帰郷しても、まったく意に介さなかったし、何かを気にかけている様子もなかった。しかし、去年の12月、同じ村の人たちが帰郷したとき、儍根はちょっと心が動いたようだった。儍根は副村長の袖を引っ張って、「おじさん、ぼくいくつになったっけ?」と、ぼそぼそと言った。副村長は儍根が何のことを言ってるのか、よくわからなかった。「お前がいくつになったかって?」 儍根は手を離してちょっと笑っていった。その笑いは少しずるそうに見えた。「そう、ぼくがいくつになったかって聞いたんだ。」 副村長は面倒に感じたが、片付け物をしながら、[そんなことを聞いてどうするんだ。幹部がお前のために覚えてくれてるんだから。」 儍根は、そう言われても立ち去ろうとせず、なんだか、妙にこだわっているような様子をしていた。副村長はしかたなく腰を上げ、「わかった、わかった、計算してやろう。」と言うと、指を折って数え始めた。「お前が来たときは16歳だった。あれから5年経った。すると、21歳になるな。」儍根は言った。「21歳、ああ、なんだか、不思議だな。」

 その時、副村長は彼が帰郷したがっていることなど思いもしなかった。儍根は小さい時から村の人に大きくしてもらったのだ。あらゆる人の布団にもぐりこんで寝てきたし、あらゆる女の乳を飲んできた。気にかけることなど何もなく、年齢さえも村の幹部に覚えてくれているのだ。儍根も何も深く考えない性質に育っていた。その時、儍根が突然、自分自身の年齢を聞いてきても、副村長は、なんとなく聞いてきたのだろうと思って、ほかの気持ちがあるとは思わなかった。
 副村長は儍根が何か考えているのだとは思いもしなかった。





 去年の晩秋の一日、儍根は油田のある街まで行ってきた。町といっても、実は大通りがひとつあるだけだったし、大通りといっても、大通りとはいえないもので、いくつかの小さな商店があるだけだった。しかし、これがこの一帯数百里四方でもっともにぎやかな場所だった。その日、彼はこの街をぶらぶら歩いていると、艶やかで美しい服を着た女性たちがやって来て、すれ違うのだ。それから、一人の若い婦人が商店の前にある階段に坐り、子供に乳をやっているのが目に入った。女性は胸を半分はだけていた。女の乳が真っ白い花のように輝いて見えた。儍根は電気に打たれたようになり、頭の中がガンガンし出した。彼は取り乱しあたりをちらちらと見回してから、大急ぎでうちに帰ってきた。その日から、儍根にはある考えが生まれた。

 そして、彼はやきもきしながら、一冬を過ごした。

 春節が過ぎてまもなく、村の者たちが帰ってきた。儍根は副村長に向かって言った。「ぼくは故郷へ帰るよ!」 「帰って何をするんだい。今のままでいいじゃないか。」「帰って家を建てて嫁をもらうんだ!」 こう話したときの儍根の口ぶりからは固い決意が感じられた。まったく相談する余地はなかった。副村長はしばらくぼんやりしていた後、続いて大笑いした。それから儍根の方をたたいて、「いいよ、いいよ。大きくなったんだなあ!嫁をもらって悪いはずはない。で、いつ出発するんだ?」 儍根も笑って言った。「明日になったら、行くよ。」

 出発前日、儍根は、油田のある街へ五年分の給料を受け取りに行っていた。彼は稼いだ金をずっと油田の街の貯金所に保管していたのだ。全部で6万元あまりになっていた。儍根は大金を手にして、うれしかった。それはずっしりと重くて、まるでレンガ何個分の重さだった。儍根が大金を持って事務所から出て来たとき、小さな街では多くの人が、体をゆすりながら街を歩く彼を驚きの目で眺めていた。

 この日の晩、同じ村から来た仲間は彼に会いに来て、「儍根、そんな大金を持っていちゃダメだ」と言ったが、儍根は、「どうしてだ?」と聞き返した。仲間たちは、「道中は物騒だぞ。数千里もの旅の間、強盗に出くわしたら、命だって落としかねないんだぞ」と言ったが、儍は信じなかった。「そんなこと、あるわけないさ。ぼくは小さい頃から、泥棒にあったことがない。」 「やっぱり、郵便局に送ってもらったほうがいいよ。そうすれば安全だ。」副村長がそう言うと、「送料はどのくらいかかるのか」と儍根が聞いたので、ざっと計算して、「6,7百元かな」と答えたら、儍根は笑って、「やっぱり、自分で持っていく」と言った。みんな慌てて儍根に言った。「お前を脅していっているんじゃないよ。道中安心できないよ。バスの中にも、汽車の中にも、泥棒がいるんだ、無事に済むわけがないよ。

 しかし、儍根は相変わらず信じない。儍根は確かに小さいころから泥棒にあったことがなかった。故郷の村では、河南の辺鄙な山中にあり、何世代にもわたって、その大きな山里で暮らして来た。人情は単純素朴で、道に何か落ちていてもそれを拾って取っていくような人はいないと言うようなところだった。例えば、誰かが山道で、牛の糞を見つけても、それを持ち帰る糞の入れ物がなかったら、そこら辺にある、平たい石で、糞の周りに丸を描いて帰ればいい。何日かたって思い出して、そこへ行ってみると、牛の糞は必ずそこにある。誰かがその丸を見たら、この糞には持ち主がいると考えるからだ。こんな土地でどうして泥棒にあうだろうか。儍根はもう砂漠で五年過ごしたが、同じように泥棒にはあったことがないのだ。だから、同じ村から来た人たちが、いくら「道中泥棒がいる」と言っても、儍根には信じられなかったのだ。儍根は「帰ってくれ俺はもう寝たいんだ。」と言った。みんなただもうどうにもできず、首を振りながら帰るしかなかった。そして、「儍根はやっぱり愚か者で単純なやつだ」と言い合った。

 その翌日、儍根は大型トラックに乗って砂漠を出発した。副村長は工事に来ている村人を儍根の付き添いに付けた。300里離れた駅まで見送るように言ったのだった。儍根は怒って、彼を相手にしなかった。儍根は、「6万元といったって、たかがレンガひとつの重さじゃないか、おれに持って帰れないとでも言うのか」と内心思っていた。そう思いながら窓の外を振り返ってみたとき、七,八頭のオオカミたちがトラックを追ってくるのが見えた。オオカミたちは十数里ほど付いてきた。儍根も立ち上がり、彼らに手を振った。オオカミたちはとうとう立ち止まり、大きな砂丘の上に立ち止り、しばらく吠えていた。その姿も次第に遠ざかり見えなくなった。儍根はトラックに乗り合わせたほかの人たちを得意げに見回した。





 儍根は金を詰め込んだ布袋を首にかけていた。布袋には、いくらかの衣服とマグカップも入れてあったので、パンパンに膨れ上がっていた。トラックには六、七人が乗っていて、みんな彼を見ていた。見送りに来てくれた男は緊張して、儍根の耳元で気をつけろよとささやいた。儍根は聞こえないフリをして、まったくどうしようもない奴だといった様子で、周りの人に笑いかけた。彼らも微笑んだが、誰も何も言わなかった。痩せた若い男が一人だけ居眠りをしていて、車がガタガタと揺れるたびに彼の頭もゆらゆらと揺れた。見送りの男は早くからこの男こそ最も怪しい奴だと目をつけていた。儍根が金を引き出した当日、油田の街の多くの人が儍根を見ていた。だから、彼の後を誰かが付けるだろうということもわかっていた。見送りの男は、儍根を肘でつついて、その痩せた若い男を顎で示した。儍根はその男をちょっと見て、思った。だから、なんだって言うんだ、人が寝ているだけじゃないかと。思わずあくびをして、自分も居眠りを始めた。

 護衛の男は眠ることができなくなった。顔をこすりながら、眠いのをこらえた。しばらくして、乗客の六、七人が居眠りを始めた。すると、それまで居眠りをしていた例の痩せた若い男が目を覚まし、トラックの端の方に座ってタバコを吸い出した。車外の見渡す限り果てしのない大きな砂漠をじっと見つめていた。車の揺れはひどくなった。一つ一つ砂漠が後ろに流れ去っていった。朝出発してから、太陽が西に傾くまで走ってきたが、まだ砂漠を抜け出していなかった。この間、見送りの男はずっとあの痩せた男を観察していた。そして、この男の痩せた顔に刀傷があるのを見つけ、密かに冷笑し、こいつは悪い奴に違いないと思った。

 夕方、トラックはやっとで砂漠を抜け出し、ゴビ道に入った。車はスピードを加速し、さらに、1,2時間走って、ついに小さな駅にたどり着いた。ずいぶん粗末な建物で、切符販売の窓口が一つしかなかったし、待合室もなくて、みんなホームで待つのだった。いっしょに来た6、7人の客は窓口へ切符を買いに行った。顔に傷のある例の男も汽車を待っていた。儍根は切符を買ってから、付き添ってきた男に言った。「帰ったらどうだい。汽車ももうすぐ来る。問題はないよ。」男はそれでも最後の努力をした。「儍根、今ならまだ遅くない。お金を私に預けろ。夜が明けたら、ここから、金を送ってやるよ。お前がうちに着いたら、お金もほとんど同時に着いているよ。」儍根は本当に頭に来て言った。「おまえは馬鹿か、お金を送金して数百元だぞ。牛が一頭買える金額だぞ。どうして、そんな無駄な金を払わなければならないんだ?」そういうと、布袋をしっかりと抱いた。儍根の声はまるでケンカをしているようだった。周囲にいた人達がみんな、振り向いた。付き添いの男は、決まりが悪くなり、「もっと声を小さくしろ。本当のことが知られたらどうするんだ」と慌てて言った。儍根は怒ったが、すぐに笑いだした。さらに大きな声で言った。「知られて困ることって何なんだよ。だから、おれはお前たちのそういう小心なところが嫌いなんだ。いつもこそこそしてさ。おれのこの金は盗んだものじゃないんだぞ。砂漠で5年間働いて手に入れた金なんだぞ。人に知られるって何の話だ?はあ、人に取られるかもしれないって?おい、おい!」儍根は周りを見回し、ホームで列車を待っている数十人の客たちに向かって、声を張り上げて叫んだ。「あんたたちの誰が泥棒だって言うんだ?もしいたら、立って、こいつに顔を見せてくれないか?」数十人の人達が互いに顔を見合わせたが、誰も関わらないようにしていた。ある者は笑い、よそを向いた。儍根は得意になって振り返って言った。「どうだ?泥棒はいないってわかったかい?人はお前のことを笑ってるぞ。さあ、とっとと帰ろ!」そう言いながら、儍根はこの男が少しかわいそうに思えた。さらに言えば、彼は好意で言っているのだし、副村長に派遣されてきているのだ。しかし、村人がいつからこんなに度胸なしになってしまったのだろうか?自分の村の人達は、初めはこんなんじゃなかった。誰かに対して警戒するなんてことは誰も考えなかった。村全体で数十戸ある家の中で、鍵を買った家なんかなかったし、それでよかったんだ。何年かで変わってしまった。どこでも泥棒を防ごうとしていて、自分自身に怯えている。

 とうとう、付いてきた男もしようがないと思って帰ってしまった。帰る時、とてもつらかった。これで儍根もおしまいだ。こいつを納得させる方法はないと思った。





 列車が来た。儍根は他の客たちと押し合い圧し合いしながら乗車する時、いい気分だった。客車の中は空いていて、数十人の乗客たちがそれぞれ好きなところに座った。儍根はあちらこちらを見て、窓側の席に座った。いっしょに車に乗ってきたあの刀疵の男も儍根の後から来て、彼と向かい合う窓際の席に座った。儍根は笑いかけたが、刀疵は相手にせず、雑誌を取り出して読み始めた。雑誌の表紙は半裸の女性の写真だったが、儍根は字が読めなかったので、首を伸ばして、見ようとした。刀疵の男はあわてて、雑誌のページをめくり、まるでその表紙の女が自分の女だといわんばかりに、儍根をにらみつけた。儍根は愛想笑いをした。そして思った。なんだ女かと。

 このとき、一組の男女が儍根の座席にやって来た。男は30歳くらいで、背が高く、体つきが立派で、顔はひげだらけだった。女は26,7歳で、綺麗な丸顔だ。見たところ、夫婦のようだ。女は儍根に親しげに笑いかけて、となりに座った。男はその向い側、つまり、刀傷の男ととなり合って座った。刀疵は彼らを二人の様子を観察して、それから雑誌を閉じて、窓の外に目を向けた。儍根は隣の女から薫ってくるいい匂いを感じて、急に落ち着かなくなった。列車はゆっくりゆっくり動き出した。儍根の頭の中でもガタンゴトンと鳴り響いて、狼狽するとともに、少し嬉しい気持ちがした。旅の間、若い女性が自分のすぐそばに座っているというのは誰でもうれしいことだ。

 この間、時折彼らの様子をこっそり探っている者がいた。

 さっきまで、忙しそうに座席を探したり、荷物を置いたりしていた乗客たちも今はもう落ち着いていた。列車はすでに正常な運行をしており、乗客たちもゆったりとしていた。そして、この客車のすべての人は、この間抜けな若者がかなりのお金を身につけていることを知っていて、心配しないではいられなかった。この列車はこれまでも安全とはいいがたく、時には泥棒や強盗が出て、それで、多くの人が被害にあっていた。しかし、この客車の中には、こっそり喜んでいる者もいた。間抜けな若者の金がどこにあるかは、明白だし、略奪者がそれに目をつけているのも間違いない、だから、自分は安全だと。

 例のひげもじゃのカップルが儍根のそばに座ったとき、客車の中には興奮しする者もいた。空いた席はたくさんあるのに、どうしてぎゅうぎゅう詰めに座らなければならないのか?なにかが起こりそうだ。みんなひそひそと話していた。

  「見て、あの男。ちょっとあやしいと思わない。」

  「あの女、間抜けなあの子にあんなに近づいてるよ」

 ある人は、トイレに行く振りをして、儍根たちのそばを通りながら、様子をうかがった。戻ってから連れに知らせるのだ。客車の中で、人々の目が探照灯のように光り、儍根の周りをあちこち照らしていた。あらゆる人がおもしろい芝居のはじまるのを待っていた。





 みんなの想像は当たっていた。このカップルはたしかに盗人だった。

 男は王簿と言い、大学で美術を学んで卒業した。女は王麗といい、大学専科で建築設計を学んで卒業した。彼らは夫婦ではなく、ただの相棒だった。二人とも共通の趣味があった。それは旅行だ。彼らは旅行の途中で知り合った。二人にはもともと仕事があったが、後に辞めて、今は、あちこちを放浪している。

 二人はいつも悪事を働いているわけではなかった。一年にニ、三回、盗みをやって使うお金に困らなくなったら、それ以上の盗みはしないのだ。やるとなったら、大金を狙った。初めのころ、カモになったのは会社の社長や香港から来た商人や省庁の幹部だった。それから、省庁の部長クラスもカモにするようになった。というのは、ある省都で人が雑談をしているのを聞いたからだ。それによると、今の中国全土で実権を握っているのは部長クラスだということだったのだ。庁の役所の長や局長クラスは、ただプロジェクトの要点を知っているだけで、細かいことは何も知らなかった。政府下の市や県、そして省などでも、プロジェクトを立ち上げたり割り当てたりするとき、庁の長官や大臣たちが首を縦に振っても、役に立たないのだ。やはり実際に責任をもってことに当たる部長のところへ行かなければならないのだ。ここを無事に通らなければ、庁の長官の同意など一つも役に立たないのだ。通さなければ、ことは先へ進まず、イライラさせられることになる。というわけで、県の部長クラスはさらに実権をにぎり、人口百万という県を掌握し、まるでどこまでも自分の領地という諸侯のように振る舞い、大は事件の調査から小は幹部の抜擢に至るまで、悪いことをしようと思えば、簡単なことだった。それから、二人は、新聞を読んで、反腐敗報道について研究した。すると、思った通り、部長クラスの幹部が数多く摘発されていた。庁や局の幹部クラスは少なくて、科クラス以下はさらに少ない。聞くところによると、庁や局の長は調査が難しいし、下の方は取るに足りない、それに対して、部長クラスは量が多いし、調べやすいということらしい。王簿たちは、「言ってみれば、90年代は部長クラスにとって、不運だったのだな」と感慨にふけった。ある時、二人はホテルでひとりの部長と出会った。その男はやたらと女をじろじろ見ていた。王麗は吐き気がしたが、二人はその男をカモにした。案の定、狙いを突ければ必ず当たる。深夜になって、王麗はこっそりとドアを開き、王簿を招き入れた。王簿は部長を叩き起して言った。「我々と話し合おうじゃないか。」 部長は驚いて口をあんぐり開けたまま、何も言えなかった。王簿は髭をさすりながら、言った。「怖がることはないよ。ナイフなんか持ってないよ。あんたは俺の女と寝たんだ、それだけのものを払ってもらわなきゃな!」 王麗は彼の金庫を持ってきて、部長に自分で開けるように言った。部長は「この金には使い道があるんだ」と言った。王簿は「こっちもそれが必要なんだ」といった。部長は顔中汗だらけにして、震えながら金庫を開けた。中には5万元入っていた。部長は、「いくら要るんだ」というと、王簿は、「2万元、3万元残しておいてやるよ」と言った。王簿と王麗は2万元持って出て行った。外に出ると、王麗が言った。「あんたって「意気地がないね。やり方が手ぬるいよ。」 王簿は、「まあいいさ。彼だって大変だ。戻ったら首になるかもしれないぜ。」





 この二人が盗人をやるのはお金を集めるのが目的ではなかった。お金があればすぐ使った。ある時は「希望プロジェクト」に送金した。ある省庁「希望プロジェクト」に1万元の寄付があった。署名は「星と月」であった。新聞に人探しの広告を載せて、「星と月」という善人を探した。彼らはそれを見て、「おれたちも善人になったんだね。」と言って大笑いした。二人が最も楽しんだのは旅行だった。数年の間に全国の名山大きな川をあまねく見てまわった。彼らは泥棒だったが、同時に山水を愛していた。

 はじめのうち、王簿は旅をするお金がなかったから泥棒をしたのだった。旅は霊感を得るためだったが、何年たっても霊感を得られなかった。旅を続ければ続けるほど何も感じなくなっていった。王麗はそういう彼をからかって言った。「芸術は聖女なんだよ。あなたはずいぶん汚れてるから、見つけられないわ。」王簿は舌打ちをしたが、何も言えなかった。

 今回彼らが大砂漠に来た本当の理由は、もう行きたいところがなかったからだ。ここで数カ月も滞在するとは考えていなかった。彼らは駅のある小さな街を基地にして、絶えず砂漠の中に入っていった。二度ほど砂嵐に遭って命を落としそうになった。それから、狼の群れに遭遇し、もう少しで食われるところだった。王麗は、そのたびに、肝を冷やして、引き上げようと騒いだ。それに対して、王簿は言った。「行きたければ行けばいい。おれはもうしばらくここにいたいんだ。王麗は王簿に従うほかなかった。王簿は大砂漠に強い衝撃を受けていたのだった。これは彼自身思いもよらなかったことだった。

 大砂漠には風景と言えるものは何もなかった。ただ、砂丘があるだけだった、すべすべとした砂丘、何百里行っても何千里行っても砂丘なのだ。大きな砂丘の上に立ち、遥か彼方を眺めると、砂丘は一つの砂丘が次の砂丘につながり、幾重にも重なっていた。果てしなく続き、太陽の下、光の波がきらきらとしていて、広大な大海のようだった。空のうす暗い時は、大砂漠に霧が立ち込めて、見え隠れする砂丘は、数百里も並んで建っている兵舎のようであった。ここにいると、進軍ラッパや殺し合いの叫び声までもが聞こえてくるようであり、不気味なほどシンとしていて、心を震わせるのである。どちらかというと、彼がこれまで見てきたあでやかな様々な山水は軽い小手先だけのものに見えてきたのだった。

 王簿は大砂漠から帰るのも忘れ、砂丘を越してはまた砂丘を越えて、喘ぎ喘ぎしながらなかなか前に進めなかった。彼は本当にわからなかった、これ以上単調なものはないというこの大砂漠が、何故に、人の魂を震撼とさせるのであろうか。しかし、しばらくして、彼は突然わかった。大砂漠のすべての魅力はいわば「かたくなさ」なのだ。かたくなに砂丘を作り、かたくなに繰り返す。狂った風、砂嵐、年月、それらも、かたくなな砂漠を変えることはできないのだ。

 街に戻って数日間休んだが、二人はもうどちらも砂漠のことを話そうとしなかった。名所旧跡を見て歩いて、戻ってきたら、いつでも、ひとしきり冗談を言いあっていた。しかし、今、砂漠についてはタブーであった。王簿は急に寡黙になった。数日後、彼はやっとで口を開いた。「おれは帰って絵を書くよ」王麗は静かに彼を見たが、何も言わなかった。夜更けになって、王麗が言った。「わたしたち、別れたほうがよさそうね。」

 彼らはようやく大砂漠に別れを告げることにした。

 彼らが、駅で儍根を見たのは本当に思わぬことだった。二人とも儍根を見てあきれた。この砂漠から出てきた間抜けな若者は、意外なことにかたくなに世界にはどろぼうなんていないとかたくなに思いこんでいた。そのかたくなさは大砂漠そのものだった。

 その瞬間、王麗は少し感動した。

 彼女は王簿の袖をひっぱり小声で言った。「あの子見て、私の弟にそっくり。バカな子ね!」

 王麗は時々、弟にお金を送っていた。弟は姉が泥棒だということを知らなかった。

 王簿は、振り返って彼女を見た。不思議そうな目をしたが、何も言わなかった。

 乗車してから、王麗が言った。「どこに座る?」

 王簿は言った。「好きなところに座れば。」





 この列車は各駅に停まる列車だ。二三時間に一度停まる。停まる旅に大勢の人が乗ってくる。すでに満席になっていて、通路も人でいっぱいだ。大小の竹籠、天秤棒の荷物などがごちゃごちゃ置かれている。うす暗い灯りの下、熱気が充満していて、時には大声で言い争う声も聞こえる。見たところ、ちょっと足の不自由な老人が通路で押し合い圧し合いしていて、なかなか落ち着く場所がみつからず、いらいらして悪態をついている。儍根はこの老人を見て、立ち上がり、席を譲ろうとした。しかし、隣の席にいた王麗に引っ張られて席に戻された。王麗が小声で言った。「かかわっちゃだめ!」 儍根は大人しく席に座った。彼はこの娘がいう意味がよくわからなかったが、自分は彼女の何なのだろうと思った。ただ、彼は、まるで、彼女の言葉に喜んで服従するといった感じで、改めてきちんと座りなおし、きょろきょろとしていた。このとき彼は王麗が人を押しのけて通路に出て、あの足の不自由な老人に近づいて、何か言っていた。老人はちょっと驚いたようすで、あわてて別の車両に移動していった。彼女が席に戻ってから、儍根は何を言ったのか聞きたかったがぐっと我慢して何も聞かなかった。ただ、胸の中で何かもやもやしたものが残った。

 儍根はずっと興奮していた。列車が停まるたびに、窓を開けて外を見て、真っ黒な町や村がだんだん増えてきて、人間のせかいに戻ってきたような懐かしさを感じた。小さな駅でまばらな薄暗い灯火、野菜のカゴを窓の高さまで持ち上げて、売る女、すべて彼にはこの上なく新鮮なものに感じられた。数年間大砂漠にいたため、まさに隔世の感があった。彼は会う人一人ひとりに笑いかけ、自分は6万元を稼いで、今から故郷に帰って家を建て、嫁をもらうんだぞと言いたかった。儍根の心の中は、蜂蜜が注ぎ込まれているようで、すべての人と喜びを分かち会いと思った。

 この間、王麗はこの車両の淀んだ空気に耐えきれず、臭いに吐き気をもよおされそうになって、いきなり体を起こし、窓のほうに体を伸ばした。彼女の半身が儍根の体の上にのしかかってきた。儍根はすぐ彼女の柔らかい体を感じて困惑したが、混乱してどうしていいかわからなかった。その時、王麗は突然「あっ!」という声を発して、弾き返されたように体を起こした。というのは、儍根の向かい側に座っていた例の刀傷の男が背伸びをしたとき、王麗の足を踏んだのだ。王麗は怒って、彼をにらみつけた。「何するのよ!」痩せた男は陰気な顔をしてうつむいてゆっくりと言った。「申しわけない。うっかりしてたよ。」 王簿は王麗に目配せをしてハハッと笑った。王麗は怒って言った。「何笑ってるの?」

 王簿はこの状況を面白いと思っていた。さっき、王麗が儍根を席に引き戻して、あの足の不自由な老人をとなりの車両に追いやったのも、王麗がこの老人がスリだと見抜いていたからだ。このスリは、周りに当たり散らしながら、不自由な老人のふりをしていたのだ。こういう類の騙しの手口では、儍根を騙せても、王麗を騙すことはできなかった。王麗は男を追い払ったのは、彼にこの車両の中で事件を起こさせないためだったが、正確に言えば、儍根に本物の泥棒がいることを気づかせないためだった。彼女はむしろこの愚かな若者に、「この世には泥棒がいない」と信じさせていたかったのだ。王簿は王麗がある時には賢く、ある時には愚かだということを知っていた。彼女は、この愚かな若者の言葉に心を動かされていた。だから、彼女がこの若者の守り神を務めようとしていることもわかっていた。しかし、果たして、その役割が果たせるのだろうか?王麗は痩せた男に足を踏まれたが、それは、痩せた男は、王麗が手をつけるのではないかと疑っている、あるいは、間に入って邪魔しようとしているのだということを意味している。カマキリがセミを捕まえようとするとき、背後にヒワがいて狙っているというような状況だ。そういうわけで、王簿は笑い出したのだった。

 実は、王簿はすでにこの刀傷の男が重要な役を担っているとわかっていた。ただ、それがどんな役割か、泥棒かあるいは強盗かどちらかはわからなかった。そして、確かなことは、彼が自分と同じように儍根の荷物に集中していて、誰であろうとあのカバンに近づけさせないと考えていることだった。しかし、王簿は心の中で思った。「お前も近づけさせない、みんな近づけさせない」と。

 王簿は王麗のやろうとしていることを手伝おうと心に決めていた。

 これは美しい夢だった。





 夜が更けて、車両の中のほとんどの人が眠っていた。通路で立っている人もこっくりし始めて、倒れかけては隣の人にぶつかったりした。ぶつかられて起こされた人は、あたりを見回して、また居眠りをする。みんなこの時ばかりは寛容になっていた。何人か寝ていない人もいたが、彼らは相変わらず儍根の周辺に注目していた。この人たちはちょっとのんびりした旅人だった。我慢強く何かが起こるのを待っていたのだ。

 王麗はすでに眠っていた。頭を儍根の広く厚い肩の上に載せた様子は、まるで従順な猫のようだった。儍根は少し位置をずらそうとするのだが、少し動かせば、王麗の頭もいっしょに動いてくるのだ。儍根は窓のほうに体を寄せた。王麗は、体を横にして、ほとんど儍根に体をあずけたような格好だった。儍根は、体を動かそうとしても動かせなかったので、王簿の方を見て、慎重に言った。「もし何だったら、席を代わろうか?」儍根はそう言いながらも、実を言えば、気持ちが良かったのだ。肩の上に若い女の体が乗っかっているというのは幸せな気分だった。それでも、人が気を悪くしたらどうしようかと心配していたのだ。王簿は寛大に笑って言った。「構わないよ。彼女は寝させといてくれ。」その口ぶりはまるで人に褒美を与えるような感じだった。身に余るもてなしを受けた儍根は、改めてきちんと座り直したが、肩と半身で王麗を支えているので、動こうにも動けない。ただ彼女が目を覚ますのではないかと恐れた。彼は人から信頼されると、裏切ることができない性格だったから、こうして2、3時間はがまんしたのだが、だんだん疲れてきて、しだいに睡魔に襲われ出した。うつらうつらとし出して、とうとう王麗に顔をすり寄せるようにして、ぐっすりと眠りこんでしまった。

 王簿は眠るわけにはいかなかった。

 王簿が眠らないのは、そばにいる刀疵が寝ていなかったからだ。

 王簿は試しに彼と世間話をしてみようとした。「あんたはどこへ行くんだい?」

 「ちょっと先まで。」刀疵は取り合うような、取り合わないような様子で、タバコを吸い続けていた。床の上はすでに一面タバコの吸い殻だらけだった。こいつは明らかに退屈でたまらないのだ。それで時折あの半裸の女が載っている雑誌をめくっていたが、光が不十分なため、字がはっきり見えないから、ただ表紙と挿絵を見ているだけだった。時には雑誌を下に置いて、タバコを吸い続けた。刀疵はまだとても元気そうだった。王簿は彼がチャンスを待っているのだと信じていた。心の中で思った。「お前にチャンスがあるわけはない。」彼はこの刀疵とどちらが強いか力比べをする決心をした。彼がこのことをとりとめのないことだと思ったがそれなら、それでいい。この世に生まれたからには、およそ、とりとめのないことをするものだ。

 それから三日三晩、乗客は乗り降りしたが、初めから乗っていた人の大部分は降りていた。ただ儍根とその周りの数人だけは誰も下りていなかった。彼らは誰もみな、相手がどこへ行くのか知らなかったし、ひたすらぴたっとくっついていた。
 王簿と王麗はすでに暗黙の了解をしていた。二人は交代で眠った。儍根が降りて買い物に行くときもトイレに行くときも、二人のうち一人が儍根の後について行った。儍根はすでに彼らの厳しい監視下にあった。一度儍根が車を降りて食べものを買いに行ったとき、一つの食べ物のワゴンに人が群がっていた。儍根はお金を出して焼き鳥を買おうとしたが、その時、手が1本彼の袋の中に伸びてきたのに気づかなかった。王麗はハッキリと見ていた。その男が、人込みから抜け出して、まさに離れようとしたのを。王麗のハイヒールがぐらっと傾いて、王麗はそいつに倒れかかった。そして、あっという間に彼のズボンのポケットからお金を取り出した。儍根が焼き鳥を買って戻ったとき、王麗は彼を出迎えて言った。「ねえ、服の前が開けっ放しよ。寒くないの?」そう言って、彼に近寄り、服のボタンをとめ、衣服を整えてやると、こっそりと取り返したお金を袋の中に入れた。儍根はアイスキャンデーのように立っていたが、心は逆に熱くなって、もう少しで涙が出そうになった。田舎を離れて以来、何年も、女からこのように身なりを整えてもらったことがなかったからだ。儍根は熱くなって言った。「ねえさん、本当にいい人だね。」王麗は言った。「早く乗りなさい。列車はもうすぐ出るよ。」儍根が前を行き、車に乗ろうとしている姿を見ていた王麗の目には、涙が滲んできた。この「ねえさん」という一声が彼女の心に、あったかい血を上らせたのだった。

 この三日三晩、刀疵はずっと何も気にしていないように見えた。時折、居眠りをしていたのだが、ずっと起きていることができかったからだ。ただし、儍根が動いたときは、すぐに目を覚ました。別に慌てて儍根の後についていくことはしなかったが、儍根が車両を下りて何か買いに行ったり、トイレに行ったりするときは、ずっと視野の中に入れていた。ついさっきも儍根が車を下りた時、さっきの出来事も、儍根はぼんやりしていて何も気づかなかったが、刀疵は窓からすべてを見ていた。それでも、彼は相変わらず無表情で、タバコを取り出し、吸い出した。





 この日の夕方、列車は北京に着いた。

 儍根は列車を乗り換えて、鄭州までいこうとした。王麗は親切に切符を買ってやることにした。儍根は「姉さん、ありがとう。」と言ったのに対して、王麗は、「あっちこっち動いちゃだめだよ。ここにいて、じっとしていて!」と言った。そして王簿には、「彼を見といて、私は切符を買ってくるから。」そう言って、あわただしく行ってしまった。北京駅はとてもにぎやかだった。儍根は目がいくらあっても足りないというように、キョロキョロとしていた。誰かが人を集めて話していたら、彼もそこへ行って聞き、誰かがプラカードを差し上げていれば、そばへ行って、プラカードに触ってみた。王簿は彼を引き戻して、「動き回るな。迷子になっちまうぞ。」と言った。儍根はただ笑ってそこに立っていたが、相変わらずきょろきょろしていた。王簿は儍根を見張りながら、自分もあちこち見ていた。何度見ても、あの刀疵は見つからなかった。心の中で思った。「しめた!あいつは手を出すことができず、逃げるしかなかったんだ。」王簿は王麗と北京で列車を下りることにしていた。彼は中国中央美術館に絵画展を見にいこうと思っていた。何年も美術の世界から離れていたので、絵画の世界がどう変化しているか知りたいと思った。刀疵はもうどこか行ってしまったのだから、儍根が持っているお金について知っているものは誰もいない。もう彼をひとりで帰らせても安心だと思った。

 しばらくして、王麗がやっとのことで切符を買って戻ってきた。丸い顔は汗だらけで、髪はボサボサだった。王簿が「ひったくりにでもあったのか」とからかうと、王麗は「あんたがひまそうにしてる間、わたしは押しつぶされて死にそうになったのよ。さあ乗らなきゃ、もう出る時間だよ。」

 王麗はそう言って、儍根を引っ張り、ホームのほうに走っていきながら、まだ動かない王簿を見て言った。

 「何ぼうっとしてるの。急いで!」

 王簿は不思議そうに、「何やってるんだ?」

 「列車で鄭州まで行くの。」

 「北京で下りるって言わなかったか」

 「切符を三枚買ったわ。いっそ彼の家まで行こうと思うの。」

 「おまえ、狂ったのか?」

 「狂ってないわ。あなたが行かないなら、それでいいわ。私が行くから。」

 王麗はこう言うと、王簿に背を向け、儍根を引っ張って歩き出した。王簿はみるみるうちに、去っていく二人を見ていたが、突然大きな声で、「ちょっと待ってくれ!」と言うと、バッグを手に提げて追いかけた。

 彼は自分が王麗を説得できないことを知っていた。

 三人が列車に乗って、寝台席を探していると、こそ泥が一人、儍根に目をつけて、彼の布袋に手を伸ばしてきた。王簿がその手をつかまえた。王簿は声も出さずにただ力を入れて彼の手をねじ上げた。こそ泥は慌てて逃げていった。彼は自分より上手に出会ったとわかったからだ。儍根は王簿がその男の手を引っ張るのを見て、「あんたたち友達なの?」と言った。「ああ、知り合いだ」「知り合いなのにどうして話さないんだ」「やつは口が聞けないんだ。だから、手話で話してたんだ。」王麗は口を押さえて笑った。儍根は王簿の言葉をそのまま信じた。





 今回彼らが買ったのは寝台車の切符だった。儍根は生まれて初めて寝台車に乗ったので、何もかも珍しくて、あちこち触って言った。「本当にすごい、列車にベッドもあるんだ。」儍根は上段に飛び上がると、「ぼくは上の段で寝る」と言った。王麗は中段で、王簿は下段で寝ることになった。荷物を整理してから、三人は王簿の下段に座って飲んだり食べたりした。儍根が「ぼくもう寝るよ」と言うと、王麗は「寝なさい。一眠りすれば、すぐ鄭州につくからね。」儍根は上段に上がって横になると、すぐ寝入った。

 王麗は一息つくと、王簿を見て「ありがとう」と言った。

 「なんで俺に礼を言うんだ。」

 「これは本来あなたには関係ないことだから。」

 「おまえにとっても関係ないことだろう。」

 「これはわたしが背負い込んだことよ。」

 「おれのとかお前のとか、なんで分けるんだ。お前のことは俺のことじゃなかったか。」

 「鄭州に着いたら、わたしたち本当に別れるのよね」

 「おまえはどこへ行く積もりだ」

 「まず陜西の実家に戻って、弟に会うわ。もう五年も会ってないの」

 「それから?」

 「それからのことは後で考えるわ。仕事を探して何かすることになるでしょうね。」

 王簿は王麗の手を軽くたたくと、もう何も言わなかった。二人はこうして手を取り合って、しばらく身動きもしなかったが、心の中では少し感傷的になっていた。突然、王麗が熱いものに触ってやけどでもしたかのように手を引っ込めて、すぐ横のあたりを指さした。王簿が振り返ると、なんと一度姿を消したあの刀傷の男がちょうど窓のところに立っていたのだ。驚くほかなかった。「あいつはまた、どこから現れたんだ?」

 二人は緊張した。どうやら、まだことは終わっていなかったようだ。

 王簿が「怖がることはない、俺がついてる。」と言った。

 王麗は声も出せず、表情はただ虚ろだった。彼女は、突然不吉な予感がして、心が震えた。そして、こっそりといった。「あいつ、私たちが目当じゃない?」王簿はそう言われて、どきっとした。「あいつが警察だって言うのか?」「そうかも!」王簿は一瞬考え込んで、つぶやいた。「まさか!」

 王簿はそんなはずはないと思っていた。数年間彼は王麗といくつかの事件を起こしてきたが、一つの場所に留まっていたことがなかった。それに間隔をあけてやっていたし、大騒ぎを引き起こしたこともなかった。それらに懸賞がかけられたことも聞いたことがなかったし、あわてて逃げたり、姿を隠したりしたこともなかった。逆にスマートに落ち着き払って北から南まで遊び歩いて来たのだ。彼らには罪を犯している感覚がなかった。この刀疵の男については、まったく偶然に出会ったのだ。我々を目当てにしているなんてことがどうして有り得ようか。

 王簿はこう自分に言い聞かせたが心はかえって落ち着かなかった。悪事を働けば後ろめたいものだ。彼は初めて犯罪者の感覚を味わった。

 このとき、王麗が王簿をつついてきた。

 「この先、もうすぐ駅に着くわ、あなた先に逃げて!」

 この先の駅は小さな駅だ。王簿は外を見ながら、低い声で言った。「おまえは?」
 王麗は上のベッドをちょっと見て、「あとで考える」

 「まだあのガキのことを気にしてるのか?」王簿は少しあせって言った。

 「・・・遅かれ早かれ私たちは別れるのよ。それに、もしかしたら、あの人が警察じゃないかもしれないわ。」

 しかし、王麗は、女の直感からすでに確信していた。刀疵は警察の人間で、狙いは自分たちなのだと。


十一


 王麗の直感は間違いなかった。

 刀疵はたしかに警察の人間だった。それに腕のたつ刑事だった。彼の顔に刀傷があるのは何度も悪人と生死をかけてきた証しだった。実は、彼の体には、まだ刀傷があったのだ。三年前、彼は上司の命令を受けて、一組の盗賊を追跡し始めた。全国各地を歩き回り、後に大砂漠までたどり着いた。大海から針一本を探すようなもので、ずいぶんと苦労をしてきた。彼らを捕まえることができないにしても、一歩一歩迫っていた。砂漠のはずれまで来て、小さな駅で、突然この一組の男女を見つけた時、彼は飛び上がらんばかりに喜んだ。彼はついに見つけたのだと確信した。

 王麗と王簿の人相は、三年前、あのホテルで金を巻き上げられた部長から聞き込んだものだった。彼はずっと巧みに変装していた。砂漠を離れ、儍根を見つけた時、彼はことのついでに儍根を守ろうと思ったのだが、まさか、この一組の大盗賊と出会うだろうとは思いもしなかった。しかし、この数日数夜、二人の行動は彼にとって解せないものがあった。明らかなことは、彼らが、あのバカな子を守っているということだ。刀疵の男はもとより、私情をはさむことなく、勇猛果断なことで知られていたが、今回はいつもと違って決めかねていた。彼は一度ならず、彼らの逮捕を引き伸ばしていた。彼自身もなぜなのかわからなかった。腰に吊るした手錠もすでに何度もさわって汗まみれになっていたが、未だに腰からはずされることはなかった。彼はまた自分に向かって、「もう少し様子を見よう、これはおもしろい、一組の大盗賊がバカな男の子を守って、盗みを働かない。」しかし、またこうも思った。「むやみなことをするなよ!芝居を見ているんじゃないぞ。津々浦々追いかけてきて三年、やっとのことで見つけたのだ。やつらを逃してはいけない。彼らはいつでも逃げ出す可能性があるのだ。」と。しかし、続けて彼はまた自分に弁解していた。「彼らは、本当に、お前が三年追いかけてきた大泥棒なのか。世の中には顔立ちがほとんどそっくりな奴が多いからな。やはり、もう少し様子を見よう。」
 彼はいろいろな理由を考えて、逮捕の引き伸ばしを自分に納得させようとしていた。実は彼の心は、はっきりしていた。本当の原因は彼らに対して同情する気持ちが生まれていたのだ。彼はこの一組の男女のことが残念でならなかった。彼らは大盗賊だが、いいことをしている。これは不思議ではあるが、少しロマンチックだ。彼は彼らを助けようと思った。彼らがしようとしていることは将来判決をくだされる時、彼らにとって有利に働くだろう。彼は自分が冒険をしていることも、規律違反であることも知っていたが、それでも手錠を取り出せなかった。

 王簿は迷っていた。

 王簿はここで逃げるのは王麗に対してとても申し訳ないとおもっていた。だから、「いっしょに逃げよう」と言った。しかし、王麗は、「一緒に逃げたら、目立ちすぎて、どちらも逃げ切れない。」と言った。王簿はまだ迷っていた。王麗が言った。「早く逃げて。列車が止まったわ。荷物は持って行かないで。下りて何か買いに行く振りをして、あわてないようにね。」王簿は彼女の手をたたいて、ゆっくりと身体を起こした。腰を伸ばし、刀傷をちらりと見て、王麗に言った。「果物を買ってくる」ゆっくりと車両のドアの方に向かった。列車が速度を緩め、止まった時、王簿は飛び降りた。


十二


 ところが、この時、列車の上で突然事件が起こった。

 王麗の向かい側のベッドに、ひとりの男がずっと毛布をかぶって寝ていたが、列車が止まるや否や、突然起き上がり、儍根のベッドに乗り移り、彼の布袋をつかむと滑るように下りて逃げ出そうとした。儍根はぐっすりと眠っていて、まったく気づかなかった。王麗は一瞬ぽかんとしていたが、すぐ何が起こったのか理解して、叫び声を発して男に飛びかかった。しっかりと男の服をつかまえて、「袋を置いていけ」と言った。この一声は、刀疵の男も列車内の人間もみんなを驚かせ、振り向かせた。王麗はすでに死にものぐるいで男の腰にしがみついていた。その男は、振りほどけないとわかると、必死に肘で王麗を突っつき殴っていた。刀疵は素早く動き出し、大股で近づき、男を捕まえた時、さらに二人の男が現れた。彼らも泥棒の一味だった。王麗につかまれてもがいている男はもがいても逃げられないとわかると、手を振り回して、仲間のひとりに布袋を投げわたした。その男は布袋を受け取ると、脱兎のごとく車両を飛び降りて行った。王麗は布袋が持っていかれたのを見て、男から手を放して、袋を持って逃げた男を追いかけようとしたが、逆に殴られて、倒されてしまった。刀疵は二人の賊とも睨み合っていた。二人が、それぞれナイフをチラつかせても、恐れることなく立ち向かった。さっと身をかがめたと思うと、足払いをかけて二人を床に伏せさせた。二人は知らせを聞いて駆けつけた二人の鉄道警察官によって取り押さえられた。刀傷は身を翻し、車両を飛び降りた時、王麗も車両を下りてきて、顔を血だらけにしながら、「泥棒よ!つかまえて!」と叫んだ。その様子は一匹のメス豹のように勇猛だった。

 二人が列車を下りた時、あの布袋を抱えた賊は、数十メートル先を狂ったように走っていた。そしてその後には一人の背の高い男が逃すまいと後にぴったり付いていた。見る間に追いついた時、賊はナイフで反撃してきたようだ。大男は一瞬よろめいたが、猛然とのしかかり、賊を身体の下に押さえ込んだ。二人はそのまま地面の上を転げ回った。このとき列車の中からは大勢の人が声援を送っていたが、飛び降りて、自分も加勢をしようとするものもいた。刀傷は最初に追いついて、賊を取り押さえた。彼はそこで初めて、刺されて傷ついた大男が王簿であることに気づき、彼のために心から喜んだ。王麗も追いついてきた。王簿が全身血だらけになっているのを見て大声で泣き出した。王簿は地面に座り、真っ青な顔でつらそうに笑って言った。「大丈夫だ。腹をさされたけど。」

 刀疵は賊を後から追って来た鉄道警察官に引き渡した。身分証明書を取り出して見せ、この賊を護送するように頼んだ。腰をかがめ、王簿を背負おうとして、王麗に言った。「後ろから支えてくれ。おれたちで医者へつれていこう!」。王麗は王簿の懐から、布袋を取り出し、何束かのお金が残っているのを確認して、ほっと一息ついた。彼女は布袋を持って警察官に渡し、おどおどとしながら言った。「このお金は16号の寝台席にいる子のものです。彼は睡眠薬を飲んだのでまだ寝ています。彼が目覚めたら渡してください・・・・・・それから、彼には今起きた事は話さないでください。いいですか。」

 鉄道警察官は理解できなくて、「何故だ?」と聞いた。

 刀疵は振り返り、険しい顔で言った。「話すなと言われたらは話さなくていい。理由なんて聞くな!」言い終わると、王簿を背負って、大股で駅の外へ向かって、歩き出した。

 その時、鉄道警察官が後ろから叫んだ。「お嬢さん、列車の中にあなたの荷物がまだありますよ。」

 王麗は振り返って、顔中涙にして言った。「もう必要ないわ。」

(終わり)
翻訳:2011年1月16日
誠生
原文は趙本夫の「天下無賊
劉徳華と劉若英主演で映画化された。
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