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三日月(原作:毛丹青「月牙児」)


 指折り数えてみると、あれはわたしがまだ小学生のころのことだ。ある日、先生が私に教科書の本文を朗読するように言った。「山路蜿蜒,一直往西,月亮多像小船,划到那美丽的天边……(山道は蜿蜒(えんえん)とまっすぐ西の方へ伸びている。月はまるで小舟のようで、美しい空の海を漕ぎ進んでいるようだ…)」というところまで読んだ時、先生が私に質問した。「君はこの表現をどう思うか?」

 「月は小舟のようではなく、えんどう豆のようです。」 とわたしが答えると、先生はちょっと驚いたようで、私をにらみつけて言った。「違うよ。何がえんどう豆だ? 君は本文の意味さえわかっていないんだ。」

 先生の叱責の声は教室中にこだました。

 放課後、あるクラスメートから「いいかっこした目立ちたがり屋!」と罵られた。わたしは悔しい思いがしたし、心中はひどくつらかった。

 それから、卒業し、さらに高校も終えて、北京大学に入った。大学生の間、三か月の教育実習があった。大学生はみな農村の小学校教育に貢献しなければならなかった。そこで、わたしは北京を離れ、河南省の農村へ行った。

 わたしが教えたのは作文の授業だった。偶然なことに、そのクラスで使っていた本は私が小学生の時使っていたのと全く同じものだった。本文を朗読する時間になって、私は一人の男の子を指名した。そして、その子が、「山路蜿蜒,一直往西,月亮多像小船,划到那美丽的天边……」と読んだ時、ほとんど錯覚に陥ってしまった。目の前の男の子がほかでもなく、正に私自身が今まさしくこの部分を朗読しているのだと。私は思わず質問した。「君はこの表現をどう思いますか。」

 男の子は頬を赤らめながら、小声で言った。「先生、月は小舟なんかじゃなくて、えんどう豆みたいです。」

 この瞬間、私は言葉が出なくなった。しばらくして、クラスの子どもたちに向かって言った。「すばらしい答えです」と。

 時は流れて、二十年近くが過ぎた。私は日本に移り住むことになった。ある日、私は中国から郵便を受け取った。中には一冊の小説が入っていた。本の中にはしおりが挟んであって、そこに「先生の作文の授業に感謝します」とあった。本を送ってくれたのはあの時の男の子だったのだ。今は彼も作家になっていて 、彼の書いた小説の題名は「三日月」だったのだ。


原文:毛丹青「月牙儿」
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