小さいころ海は大好きなところだった。
小学生のころ、夏休みになると、近所の家族と一緒に海水浴に行った。子供たちだけで、よく遊んだ。少し年上のお姉さんの水着姿にどきどきしたこともある。水際でびちゃびちゃ波とたわむれたり、砂浜で城を作ったりした。時には、浜から離れた沖まで唯一できる平泳ぎで泳いでみたりした。海水が鼻にはいったりしながらも冒険を楽しんでいた。海水浴は解放感たっぷりの楽しみのひとつだった。

 働くようになってから、3年間ほどだが、太平洋を望む断崖の上にあるアパートに住んでいた。毎朝、目を覚ますと、海を見下ろしながら、顔を洗っていた。この海の向こうにハワイがある。アメリカがあると思いながらだ。このころは海水浴に行くというより、知り合いの海の家で過ごしたり、友人たちと浜辺でキャンプをしたりした。

 家庭を持って、子供が生まれてからは、自分が子供のころしてもらったように、夏になると一度は海水浴に行った。しかし、ある年、浜辺を歩いていた娘の足に釣り針がささったことがあった。泣き叫ぶ娘を抱えて、救急病院を探したときは本当に慌てた。それ以来、海水浴も行かなくなった。

 数年前、久しぶりに海水浴に行った。場所は江の島だ。当時、日本語学校に勤めていて、教えていた中国人学生たちを連れて行くことになった。中国の国歌「義勇軍行進曲」の作曲者、聶耳(nie'4 er3)が溺死した鵠沼にも行って石碑を拝んだ。

 江の島の海岸についたら、みんなでスイカ割りをし、そのスイカをみんなで食べた。それから、砂遊びをしたり、水際で波とたわむれたりして楽しんでいたのだが、だいぶ時間もたち、ちょっと疲れてきた時のことだ。無理をして少し沖まで泳いでいった。ふと気づくと、足が届かない所に来ていた。必死に泳いで、浜に戻ろうとしたが、なぜか、浜辺は遠ざかる。少し離れたところに、浮輪に乗っている中国人女子学生が見えた。「助けて!」と叫んだが、彼女は無反応だった。もう終わったなと思いながら、中国語で、「救命(jiu4 ming4)」と叫んだ。すると、彼女は手でこぎながら、近づいてきてくれた。ぼくは彼女の浮輪につかまり、浜に向かって戻った。みんなが「聶耳と同じで溺死するところだった」と言った。

 それが最後の海水浴だ。今でも時々海に行く。江の島にも行く。だが、ただ眺めに行くのだ。横浜の山下公園や横須賀の猿島等へ行き、海の美しさを満喫する。海は人の生命の源だ。心を慰めてくれるところだ。だが、もう海につかろうとは思わない。海は鑑賞するところであって、たわむれるところではない、と今は思っている。
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