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天上縊死

 まだ携帯電話のないころのことだ。大学4年生の春、ぼくは近代詩を研究するゼミで不思議な男と知り合った。メンバーは男4人、女2人というゼミだった。男の一人は以前からの親友で、ハンサムだが、孤独を好む少し暗い印象の男だった。そして、初めて会ったのが原口という男だ。こいつは以前からの親友以上に暗かった。ゼミ仲間の話によると、彼は自殺未遂を繰り返している死神のような男だから、近づかないほうがいいということだったので、少し警戒していたのだが、その陰気な男が何とぼくと波長があったのだろうか、何度も僕の下宿を訪ねてくるようになった。

 そして、ある日、彼はついに本性を現した。自殺未遂の後の傷口を見せて言った。

 「何度も死のうとしたけど、死ねなかった。実は今も毎日死ぬ方法を探している。」

 これを聞いたぼくは、何だ、こいつ自殺願望の男なんだ。たしかに死神のような奴だと思った。そして、逆療法を試みた。実はぼくの部屋は2階だったのだが、思い切って言ってみた。

 「じゃあ、この窓から飛び降りてみたらどうだ。死ぬのを見届けてやるよ。」

 彼はしばらく呆然としていたが、ぼくが同じことを繰り返し言うと、あきれたような顔で言った。

 「そんなことを言われたの、初めてだ。」

 それだけ言って、彼は自分のアパートに帰って行った。その後、彼は少し明るくなった。ぼくは少し気分がよかった。人を救ってやったんだ、いいことをしたという気分だった。

 そして、夏が来た。人を救った気分でいたぼくだったが、実は、ぼくもぼく自身のことで、彼以上に陰鬱な気分だった。というのも、この年の春、恋人が妊娠していることがわかり、結婚を迫られ、そのことを親にも話して、とうとう結婚することになっていたのだ。この恋人というのが、数年前から、何かの縁で知り合い付き合い始めた先輩だったが、性格の不一致とでもいうのだろうか、結果的に毎日のように喧嘩を繰り返し、何度も別れる寸前までいったのに、別れられずにいたのだった。彼女は先に大学を卒業して、少し離れた街で働いていた。そんな時に、妊娠を知らされて、結婚に至ったのだった。どうにも未来に希望が持てない時期だった。

 その年の秋、とうとう結婚式の日が迫って来た。式は彼女が住んでいる町の教会で行われることになった。その前日、いつものように原口がぼくの下宿に来ていた。朝まで二人で酒を飲んだ。ぼくは結婚式に出るのを渋ったが、原口にせかされて早朝になって出かけ、式には暗い顔で出席した。そして、暗い未来をますます実感して、自分の下宿へ帰ってきた。新婚旅行もなし、ただ形だけ結婚したようなものだった。

 卒論も終わり、大学生活も残りわずかになったある冬の日、原口がぼくの部屋に勢い込んでやってきた。ついに自殺の方法を決めたという。お前もいっしょに死のう。決行は明朝だと言う。ぼくは何となく頷いてしまった。そして、その夜、ぼくは公衆電話から母に電話をかけた。ただし、電話に出た母にぼくは何も言えなかった。ただ母の声を聞いただけで切ってしまった。

 次の日の朝、目覚めると、母が目の前にいた。心配で飛んできたというのだ。およそ5時間かけてぼくの住む町へ来たのだ。大丈夫?と言われ、大丈夫!と答えるほかなかった。そこへ、窓の下から、原口の声がした。暗い声だった。母は直感したのか、返事しちゃダメと言った。ぼくは涙ぐみながらも、ただただ黙っていた。それから、しばらくして、声が聞こえなくなってから、母はぼくを故郷に連れ帰った。

 故郷にいる間に、僕の心は少しずつ癒えていった。やせ細っていた体も回復した。1月に入り、高校時代の旧友とも会い、なんだか、本当に自分らしさを取り戻したような気分だった。そして、冬休みも終わり、少し明るい気分で大学の町に戻った。と言っても、原口のことは心配だった。何とかもう一度説得して自殺をやめさせようといろいろ考えていた。

 ところが、下宿に着いたぼくに、ゼミの仲間から電話があった。

 「お前、知ってるか?原口が自殺したぞ!」

 聞けば、アパートの天井の梁にロープをかけて首をつって死んだという。愕然とした。どうにも立ち上がれないほどの打撃を受けた。泣き崩れた。ものすごい後悔の波が押し寄せてきた。波が波を呼び、どうにも止められなかった。そのまま部屋で崩れ折れて、本当に寝込んだようになって、どこにも出かけられなくなった。大学にも行かなくなった。ただただ、部屋で暗い部屋で毎日泣き崩れていた。「おれが殺したんだ!」その思いで心の中はいっぱいになっていた。

 葬式には参加した。原口は長身だった。棺桶に入れる時、親友であるぼくが頭部をもつことになった。棺桶が小さすぎて、なかなか入らなかった。彼の長兄が言った。曲げてください。この長兄はすでに40歳代だった。この葬式で初めて知ったのだが、原口は9人兄弟の末っ子だったという。父親はすでに70を越しているとか。それで、長兄が来たのだ。複雑な家庭事情があって、原口は悩んでいたのだろうと思った。だが、もう彼の家庭ことや彼の悩みの種を思いやっても遅すぎる。

 ぼくは彼の頭を少し曲げて、棺桶に押し込んだ。涙がぼろぼろと彼の死に顔に零れ落ちた。何とか納め終えて出棺ということになった時、驚いたことに窓辺には黒猫が彼を見送っていた。外に出て、霊柩車が出る段になった時、原口の長兄が言った。

 「みんなにお願いしたい。私の弟は弱かった。あなたたちにはぜひ強く生きてほしい!弟の分まで生き続けてほしい!」

 これは心に残っているし、この時も、本当に思った。ぼくは彼に命をもらったのだ。生きねばと思った。そうはいっても、簡単に切り換えられなかった。心の中に、後ろ向きの心と前向きの心とがあり、互いにせめぎ合っていた。

 「あいつを追いかけろ、親友を死に追いやったお前のなすべき道はほかにない。」

 「いやいや、あいつの分まで生きろ。それが親友を自殺に追いやったお前に与えられた使命だ。」

 答えは簡単には出なかった。ゼミの先生はぼくのことを心配し、毎日夕方には同じゼミのある女性をぼくの部屋まで寄越した。彼女は細やかにぼくの世話をしてくれた。ぼくがひどく落ち込んでいる時はそのまま朝までいてくれた時もあった。二人の間には何もなかった。ぼくは、何も話さず、黙々と、まさに黙々、ただじっとしているだけだった。相変わらず後ろ向きと前向きの間で対話を繰り返していた。

 そして2月になった。そんなある晩、ぼくは四畳半の部屋で寝ていた。隣には彼女がいた。そして、眠ったかどうかもわからない時間、突然、ぼくは寒気がした。目の前に見えるドアにぼくの祖母がいた。祖母は3年前に死んでいる。その祖母が立っている。祖母は何も言わない。ぼくは体を起こそうとしたが、起こせない。金縛りにあったような気がした。それから、ぼくの足は宙に浮いていく。そうなんだ、祖母がぼくを呼びに来たのだ。ぼくはどうしたらいいのかと思った。このままぼくは祖母のもとへ行くのだ。明日の朝には冷たくなったぼくが発見されるのだ。そう思った時、これがつまり前向きの心、生の本能だろうか、ぼくは叫んだ。

 「ばあちゃん、ぼくはまだ死にたくない!」 

 その瞬間、目が覚めた。何故か体中汗でびっしょりとなっていた。意識もうろうとした中で周囲を見回した。ばあちゃんの姿はなかった。隣を見ると、彼女はぼくが叫んだことなど関係ないかのように、すやすやと寝ていた。ぼくは死んではいなかったようだ。そして、強く思った。「ぼくはばあちゃんを拒否した。もうあいつの分まで生きてやるほかない。前向きに生きてやるんだ!」と思った。次の日からぼくは通常通り大学に通った。およそ一か月間、暗いトンネルの中にいたぼくだった。笑顔にはなれないものの、少し周囲に感謝する気持ちも萌してきた。
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